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古い家並みが続く北方宿には、本陣だけが残る淋しい宿跡であるが、古代には橘氏の居館があった所で、交通の要衝であった。 江戸時代の北方宿は本陣の前に脇本陣と多久領の米倉もあり、宿場一帯には駅亭、問屋場、旅籠、商家などがあり活気に満ちていた。 北方宿から先の長崎自動車道のしたを通り、1kmほど歩くと高橋に着く。ここの角に祀られている火除地蔵から右折し、街中を500mほど行くと「長崎街道見て歩き」と書かれた看板にぶつかる。そこから高橋川に架かる享保橋を渡り、閻魔坂へ。 ここから武雄療養所までの細い道を通り武雄市内へと入る。 市内の長崎街道は夜泣き地蔵・八並の石塔を中心に800mほどは道は狭く、両側の民家も古い家が多く、街道を歩くことに快適ささえ感じる。 鍵形道路と表示されたところから街は良く整備され、道路には小倉から長崎までの宿場の絵が描かれ、温泉町に相応しい市民の取り組みが覗われる。 |
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