牛津〜小田


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 牛津宿を通り抜け、牛津駅前に来ると、目を疑う光景にぶつかる。
 牛津駅舎は赤レンガ館をイメージした赤レンガの建物に造りかえられ、隣には一辺30cmもある太い柱を門柱にした「津の里ひろば」が整備されている。 門を入った正面には牛津町会館の白壁をイメージした飾壁とステージが設けられ、飾壁には電光掲示板と牛津宿の壁画が描かれ、活力に満ちた牛津町の玄関口を呈している。
 2kmほど民家が建ち並ぶ1車線の道を歩くと上砥川で国道34号線に出る。
 砥川小学校から左に旧道を少し歩くと永福寺に着く。
 ここではお茶を頂きながら住職から永福寺の由来や横辺田四国の石仏についてお話を伺がった。
 砥川小学校から国道34号線を外れ1km弱いくと、また国道34号線に戻る。この辺りが牛津町と江北町の境界である。
 800mほど歩いてまた旧道に入る。昔風の民家がたたずむ中、堤雄神社の山門、肥前山口駅、江北町役場とたどり、国道34号線から離れ、北西に約1km歩くと小田宿である。

街道の情景

牛津川に架かる砥川大橋付近から西にむかっての街道風景
永福寺と六地蔵

上の写真:永福寺の山門
下の写真:六地蔵尊
天文22年(1553)の作といわれ、平安中期以後、極楽浄土の信仰が起こり、地蔵は六道を巡り、衆生を救い極楽に行けるとの信仰から祀られたものである。
八幡宮と肥前の狛犬

永福寺の裏山に八幡宮が祀られている。下の写真はそこに置かれている狛犬であるが、「肥前の狛犬」といい、一般の神社で見る獅子のような狛犬とは違い、犬の顔をしている。
カンカン石

ここは江戸時代、長崎街道の一名所として、紀行文や記録に見られ、「珍石を小石で打てば、カンカンと鉦を打つような音がする。」との言から「カンカン石」と言われているが、これは磁鉄鉱を含む讃岐岩(サヌカイト)である。
現在は、国道の拡張工事により敷地は縮小され、カンカン石も数個紛失し、元の配置とは変わっているが、僅かに遺された石造物に昔の面影が偲ばれる。、
堤雄神社山門

堤雄神社は是より奥の山腹にあり、永禄年間(1570〜1588)に建立され、成満公・猿千代丸が祀られている。江戸時代には佐賀藩主の尊崇が厚かった。10月19日には下惣、上分、下分の岸川家、土井家の氏子たちが白装束に身を纏い、神輿を担いで御下り、御上り行列を行う。
石碑・石仏

宿の部落、長崎街道沿いの一段高台に安置されている
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