田代〜轟木


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田代宿の南側にはサロンパス鳥栖工場がある。
この西角を左折し、400mほど南に行くと田代外町の「右さか左くるめ」と刻まれた追分石にぶつかる。乗用車の離合がやっとの道である。
雨迄川、大木川と渡り、古野町交差点を左折すると間もなく八坂神社に着く。このあたりから南の町並みを瓜生野町といい昔風の家並みが続く。
鳥栖駅に通じる県道220号線を横切り、少し歩くと秋葉町の旧家に出会う、時代劇の一場面を見てるような感じのする家々である。
秋葉町を過ぎ500mほど歩くとJR長崎本線のガードに着く。
ガードを潜ると草の中に淋しく建った菅公姿見の池と刻まれた碑に出会う。人の訪れもなく、、その向こうには水の枯れかかった3平方メートルほどの池があった。
ここを50m程行ったところに轟木川(通称「番所川」と呼ばれている)が流れている。江戸時代、對馬基肄養父領と肥前鍋島藩との境界だったところである。

追分石

田代外町の追分石は田代宿の西構口となり、ここから久留米街道が分かれている。
文化2年(1805年)に書かれた亀井南山の「小春紀行」に「石表あり、右さか、左くるめ道とあり」と記されている。
今は遺跡保存のため、鉄柵で保護されている。
八坂神社

鳥栖市瓜生野町の長崎街道沿いのあり、正安元年(1299)山城八坂神社の分霊を勧請したとされ、往時は旅人の大勢が参拝したことだろう。境内には猿田彦大神の碑もある。
秋葉町の旧家

昔は瓜生野今町と呼ばれ、街道筋では最も良く当時の面影を残している町並みである。門、格子、馬繋ぎなどが現在も見られる。
菅公姿見の池

菅原道真公が養子に出したわが子に会うためこの地に訪れ、池に映る自分の姿を描いてわが子に与えというのが姿見の池の伝説である。
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