小竹〜飯塚


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 小竹の旧道を飯塚宿へ進み、目尾というところで国道200号線を横切り、遠賀川よりに1.5kmほど歩くと「鯰田渡」と書かれた道路標識のある四叉路の出る。
 昔、JR鯰田駅方面へ行く旅人がこの渡しから舟に乗って渡って行ったのであろう。
 国道200号線に沿って2kmほど行くと幸袋に着く。
 この辺りは立派な旧家が点々とあり、中でも伊藤伝右衛門の旧宅は筑豊の石炭王が建てたと言われるだけあって、規模といい豪華さといい驚嘆するばかりであった。
 許斐神社からは国道200号線ー国道211号線の右を走る側道のような1車線道を、昔の面影を残す片島の民家を見ながらオランダ屋敷跡、納祖八幡宮そして飯塚宿の北構口跡へと進む。

幸袋の旧家

筑豊の石炭王・伊藤伝右衛門の旧邸である。
この旧邸は伊藤伝右衛門が妻に迎えた歌人の柳原白蓮(本名、柳原Y子と言い、伯爵柳原前光の次女として生まれた。白蓮27歳のとき伊藤伝右衛門52歳と再婚した。)と暮らした邸宅で、明治時代に建てられた木造、一部二階建ての豪壮な書院風造りでり、庭園と併せ炭鉱が隆盛を極めた時代を伝える貴重な資料として保存を求める声が上がっている。
幸袋の鏝絵の家

伊藤伝右衛門の旧邸と道を挟んで向かい側に、鏝絵の壁を持つ旧家が建っている。
許斐神社

秋月氏の家臣許斐氏の居城であった許斐山城跡に祀られており、鳥居の横には伊藤伝右衛門の碑が立っている。
片島の旧家

長崎街道沿いに豪壮な旧家が並ぶ。
オランダ屋敷跡

江戸と長崎を往来する外国人の宿泊所であった。シーボルト、ケンベルなど多くの外国人が宿泊したであろう。
納祖八幡宮

飯塚宿を往来する旅人はこの神社に旅の安全を祈願した模様で、境内には寄進した灯篭などが銘入りで立っている。
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